横浜の教室より

 

私の留学体験記

鶴岡 俊樹
④大学院進学〜帰国

大学院進学

約三ヶ月間のEAPコースの受講者は、コースの最後に全員IELTSテストを受験することになっています。進学に必要な点数は専門学校やカレッジで5.5ポイント(TOEIC600~740点に相当)、大学で6.0ポイント(740~820点)、大学院で6.5ポイント(820~870点)以上でした。このテストで私は7.0ポイント(870~970点)が取れました。スピーキングテストの面接官とたまたま好きなジャズピアニストが同じで話が盛り上がり、たぶんそのおかげで高得点をくれるという幸運にも恵まれました。この結果を受けて、はじめて大学院に進学することを決めました。本当に計画性のない留学ですね。入学する学校はBUELIですでに慣れていたこともあり、そのままボンド大学へ進むことにしました。

大学院の勉強

EAPコースもハードでしたが、大学院の勉強はそれとは比較にならないほどの厳しさで、入学から卒業まで、ホリデーを除きほとんど勉強漬けの二年間となりました。とくに一学期目は本当について行かれないと思ったこともあります。大学院での提出課題は、「際限なくこれでもかというところまで労力をかけるもの」ということを知り、実際そうしたのですが、最初はそこまで頑張ってもやっと「パス」というありさまでした。またもやプレッシャーの連続の生活に逆戻りです。ある日、プレゼンテーションがあと数日と迫って必死に準備していたころ、気晴らしに出かけた散歩で行きかう人たちを見ながら、「この周囲半径数十キロ以内に、いま自分よりストレスを感じている人間は誰もいないだろうな。」と思ったことを覚えています。

でも驚いたことに、人間はそんなハードな環境にも慣れてしまうものです。コースワークの終わる三学期目には大学院での勉強にも自信がつき、高得点の評価も取れるようになり、成績優秀者として表彰されるまでになりました。下は表彰パーティーの写真ですが、このときは本当にうれしかったです。

学位論文と卒業

修士号の取得には二万語の学位論文が必要でした。半年で書く人もいますが、私は一年かかりました。ひたすら読み、ひたすら書いた留学生活最後の一年間でした。担当教員に何度もダメだしをされ、何度も絶望の気分を味わいました。論文のテーマはとても興味深く、また卒業後の英語教師としての自分に直接役立つことだったので、研究には没頭することができました。

何度も書き直しをした後、担当教員から「これで受理してもいいけど、今後この論文で君の力が評価されるから、将来のキャリアのことを考えたらもっと改善するべきだよ。」と言われましたが、私は「もう限界です、どうかこれで通してください。」とお願いしました。確かに、まだまだ改善の余地のある論文でしたが、このあたりが私の勉学の限界だと自分で悟ったようです。ようやく論文が受理され、2003年5月に晴れて卒業ということになりました。

限界を悟る

余談ですが、英語圏の大学での修士号取得は本当にハードですが、博士号ともなればさらにはるかに厳しいものです。博士課程を終えた後、身体に変調をきたして亡くなる人もいるそうです。実際、私の専攻したコースにも博士課程を取っている教員が何人かいましたが、そのうちの一人は学校で倒れて救急車で運ばれていました(幸い大事には至りませんでした)。しかし、博士号までする人は生来学問が好きな人です。「私の趣味は勉強だ。」と言っている教員もいました。「自分とは人種が違うんだな、自分に博士号は無理だな。」と思ったことを覚えています。

友達との助け合い

留学生活を通していえることですが、海外生活では友達、とくに留学生の友達が大切だと思います。同じ異国の地に住む外国人同士、何事も助け合いです。また大学での勉強は非常にハードなので、精神的に励ましあえるクラスメートの存在もとても重要だと思います。

タイ旅行と韓国旅行

留学中に出会った世界各国からの友達の国を訪れるのはとても楽しいものです。私の場合はタイと韓国へ行き、友達が旅行中ずっと案内をしてくれました。パッケージツアーの海外旅行と違い、地元の人の生活をより近く体験することができます。また逆に、海外からの友達に日本を案内するのも楽しいものです。

帰国とその後

多くのことを成し遂げたという達成感とともに帰国することができました。そして留学で学んだことを実際のティーチングで生かす実践のときが来たと感じました。理想の英語教育をするために2003年、大船に「ユリシーズ英語・英会話」を設立、現在に至っています。